–スウェーデン、アビスコ
アビスコ3日目。
宿の猫にちょっかいを出して、庭でボケっとタバコを吸って、町に一軒だけあるスーパーに買い物に行く。湖を眺めながら線路沿いを歩いて帰って、旅行の最初から持ち歩いていた分厚いペーパーバックを読んで、猫にちょっかいを出して、食事を作る。そうこうしているうちに夜が来る。
裏の森の奥にあるヘリポート広場は、夜になると灯りだすスズメの涙ほどの町灯りも完全に遮断される絶好のオーロラ観測ポイントだ。カメラの三脚を立て、レリーズを差し込む。今日買ってきた携帯ラジオを聴きながら月明かりの下で待っていると、手袋が欲しくなる寒さ。でも今夜はいつもより雲が少なく、かなり期待が持てる。
北の空になんだか白っぽい部分が現れた気がした、と思ってもただの雲の切れ端…と、ここ2晩ハズレだったけど、今日のモヤはなんだか様子が違う。
オーロラだ!白いモヤは次第に明るさを増し、動き始める。白に見えた色は次第に緑がかり、範囲も広がりつつある。間違いなくオーロラだ。
ある程度輪郭がはっきりしてくると、風にたなびくようなその動きは、次々に光の膜が現れては消えていくことでそう見えていることがわかる。と思ったら不意に消えてしまい、しかしすぐに少し離れた場所に、より明るい輝きで現れはじめた。
カメラのシャッターを開き、タバコに火をつける。タバコの紙が焼ける音が聞こえるほどの静けさの中、オーロラは次々と形を変え続ける。
シャッターを切る。
シャッターを開く。
僕はようやく最大の目的を果たした。
学生の頃、やっぱりこんな寒い夜に広島の山奥で、大規模な流星群を眺めて立ち尽くしたことがあった。なんだかここがどこなのか一瞬混乱して、ここが北極圏、スウェーデンの山奥ということを忘れそうになる。
そして、この5ヶ月とちょっとの間に通り過ぎてきたいくつもの街や、出会った人々について考えた。本当に長い長い距離を通って来たことが、ともすると信じられないくらいだ。
でも人ごみの喧騒やお香の匂い、強い日差しの作り出す影の濃さ、アザーンの抑揚、水タバコの香り、風の強さ、波の音、しょうもない会話、青臭い会話、大切な会話…そういった「旅のあざやかな部分」が、焼きゴテで押されたように頭の中にくっきり残っていて、まるで目の前にあるかのように確かに思い出せる。
楽しかった。小学生の喋る感想みたいだけど、楽しかった。
オーロラは小一時間ほど現れ続けた後、消えた。その後30分くらいすると、西の空から現れた雲が空一面を覆ってしまった。
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