始めてみたいけどストーリーも舞台も人物もわけからん!英語だし!とかいう人のために、大まかにこの辺まで把握しておけば楽しめるかもという情報を書いておきます。
が、MYST、RIVEN、EXILEあたりのネタバレを激しく含みます。
今後これらのMYSTクロニクルを遊びたいと思っている人は、そっちを遊んだあとで読んだ方がよいです。
始めてみたいけどストーリーも舞台も人物もわけからん!英語だし!とかいう人のために、大まかにこの辺まで把握しておけば楽しめるかもという情報を書いておきます。
が、MYST、RIVEN、EXILEあたりのネタバレを激しく含みます。
今後これらのMYSTクロニクルを遊びたいと思っている人は、そっちを遊んだあとで読んだ方がよいです。
“the Journey”のうち、Ages Beyond Mystに連なる4時代
をクリア。
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Uru Live: A Newcomer’s Guide and Answer Sheet の他の項についても適当に訳してみる。
いわゆるURU Liveの初心者ガイド、基本操作方法説明である。
順次追加していく予定。間違いがあったら突っ込んでください。
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URU Liveが再開された、というので早速インストールした。とはいってもURUはAge Beyond Myst(日本語版オフラインパッケージ)でしかやったことがないので、KIの機能が多少増えているみたいだ。ざっといじってみて分かったことだけ書いておくことにする。
せっかくオンラインなのにチャットに日本語入力はできないし、日本人っぽい人にも出くわさないし、謎解き中は相変わらず一人で黙々と、という感じなのであまりオンラインっぽくない。
ただ接続書のシェア機能とか”neighbor”とか”buddies”とかあるから、複数人じゃないと解けないパズルとかもあるのかな。
とりあえずKI。Gahreesen時代で入手できる携帯みたいなガジェット。
勝手に「キイ」って呼んでるけど「キ」かもしれないし「ケーアイ」かもしれない。まあなんでもいい。
あと上記画像にはありませんが、ログインしてよく見たらKIナンバーの横になにやらカプセルのようなアイコンと3桁の数字がありました。このアイコンの形はエル・カーナのあれかな?詳細不明。
また、Empty Roomsさんにて“時代”シェアについて書かれていましたので、適当に訳(違っていたらスミマセン)。
URU LIVE ― KI ってなんだろう
URU Liveでは、KIは全ての部類の処理に用いられます
KIインターフェイスを起動。まずフォルダの中から相手を見つける(おそらくBuddies/Neighborhood/Rescentあたりから)。左カラムのフォルダ名の後ろに小さな白い(水色?)三角形があると思う(それらは「追加」ボタン)ので、それを使ってポイントされてるフォルダに相手を追加する。“時代”の訪問者リストにあるその三角形クリック(場合によっては時代リストを下にスクロール)。
三角形をクリックするとその相手は時代のビジターリストに追加される。(その人にはKIメールで通知される)。相手はその後Nexus時代へ行き、時代リストを確認すると「Private links」の項にその時代が追加されている。
URU Live再開されて嬉しいけど、新しく始める人はMYSTとRIVENとEXILEあたりくらいまでやったことある人(あとアトラスの書なんかでバックストーリーを知ってるとなおベター)じゃないと楽しくないんじゃないだろうか。純粋に異世界パズルゲーが好きな人はいいかもしれないが、それでも舞台や登場人物一切意味不明だと楽しさ半減な気がする。
日本語サポートは…遠そうというか、なさそうかな…
–タイ、チェンマイ
「Jun! Welcome back!」
チェンマイに着いた翌日、ソンクラーンに賑わうお濠沿いを歩いていると、丁度一年前と同じ場所に、これまた一年前と同じ顔が揃っていた。
「ノン!サワディービーマイカップ!」
ノンは嬉しそうに僕にビールを勧めてくれた。
チェンマイに着いたのは前日の夕方で、空港のロビーを出た瞬間にむっとした空気が僕を包んだ。懐かしい匂いがする。嗅覚はすごい、と思った。もうほとんど忘れてしまっていた匂いなのに、嗅いだ瞬間、あれ、タイを離れたのは一昨日だっけ?とばかりに一瞬で一年前に戻ったような気分になる。
さっそくタイペーゲートまでタクシーで移動し、スミヤ君に連絡を取る。スミヤ君とはチェンマイでしか会った事がないという不思議な関係だけど、その人当たりの良さはいつも、まるで小学校からの友人のような気安さを与えてくれる。電話から聞こえてきた「ウイスキー・ゲストハウスで」という声や、一年前泊まったバナナ・ゲストハウス近辺の風景はさらに時間の感覚を失わせ、路地の角でスクーターに腰掛けて僕を待ち構えていたスミヤ君を見た瞬間、時間は2006年の4月17日に繋がった。
「おかえりー。」
「ただいま。」
「それにしても、全然変わってないなー。」
ノンとビールを飲みながらそんな話をする。相変わらず若い子たちはお濠に飛び込み、バケツで水をぶっかけ合い、たまに救急車が駆け抜け、ノンは僕のタバコとビールが濡れないように小さなバケツを被せてくれる。
「いろいろ変わったこともあるよ。」ノンは言った。
そう言われてよく見ると、昨年は見かけた筒状の水鉄砲は全然見かけなくなっていた(水圧が強くて危険だかららしい)。かわりに、見た目はごついけど水圧は弱い水鉄砲が主流になっているようだ。そして「ボーイはもうトゥクトゥクに乗ってない。」
同じように見えても、確実に一年が経っているんだな、と思った。でも一年が経った今でも、日本からおよそ8時間、このタイの一都市で、去年とほぼ同じ顔ぶれで水をぶっかけ合ったり、酒を飲んだり、鍋をつついたり出来る。そのことが単純に嬉しい。
嬉しいことは他にもあった。バナナ・ゲストハウスでカオソーイを食べに行った時に出合ったケンザブロウさんは、この後ベトナム、カンボジアと回るという。去年を思い出して懐かしくなる僕に、彼はこう言った。
「次も気になるけど…、チェンマイから移動したくねぇー。」
その気持ち分かりすぎるほど分かります。
そして信じられないことには、去年毎日のように行っていたネットカフェ「Ticky’s Cafe」に懐かしさ一杯で入ると、女主人のTickyが「あなた見たことある。…去年?」と言ってくれた。「ありがとう、よく覚えてるね。」「知ってる顔の気がした…髪型変えた?」確かに去年と違って、今は偽アフロだ。
こういう所が、それなりに街なのになんだか居座ってしまうチェンマイという場所の良さを端的に表していると思う。
5日間の滞在だったけど、今回も忘れられない出来事だらけだった。ノンの家で鍋して酔いつぶれて寝たこと。ボーイの胸に判別不能なタトゥーが入っていて笑ったこと。フィリピンから来たクーンとノンを引っ張りまわしてナイトバザールを歩き回ったこと。スミヤ君とその彼女とスクーター3ケツで、帰りにパンクしながらもタイマッサージに行ったこと。夜空を浮かぶおもちゃの熱気球を「UFOだよ」とか騙されたこと。ミスターウイスキーが面白すぎたこと。飲み屋の帰りに紙一重で野犬に噛まれそうだったこと。
そして、空港まで見送りに来てくれた皆に手を振って思ったことは、
来年も必ずここに帰ろう。
※今回メガネは無事でしたw
本日ふたたび、372日前の自分をトレースする。
関西国際空港からバンコクを経てチェンマイへ。
明日から超ハイテンションな旧正月祭、ソンクラーンで水をかけまくるのだ。
おっ、既に現地入りしているスミヤ君からのメールだ。
>俺も宿の入り口で水持って待ってるからね
PCを持っていくのは断念しました!!
これで僕が26歳の終わりに行った旅行の話はおしまいです。この後ストックホルムで僕は27歳になり、翌日、日本への飛行機に乗り込みました。
日本しか知らなかった頃よりも、日本のことが好きになった気がします。
それはもしかすると、今までよりも少しだけ客観的に見たり比較することのできる物差しのようなものを知らず知らず手に入れたからだろうか、と思います。
とりあえず関空のキオスクで缶コーヒーを買って味に感動し(あまり缶コーヒーって売ってなかったか、あっても恐ろしくまずかった)、おばちゃんに「ありがとうございました」と言われてまた感動しました(買い物してお礼を言われた!!)。日本はやっぱり良い所を沢山持っている国です。
気前よく送り出してくださった会社の方々、旅行中に出会った皆、メールをくださった人、コメントを書いてくださった人、そして遅れに遅れたこのブログを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
しばらくしたら猫日記始めます。
ノルウェー、ナルヴィク駅にて
–ノルウェー、ノールカップ
北緯71度10分21秒
垂れ込める雲から時折青い空が覗く。容赦なく吹き付けてくる海風は立っていられないほど。
ノールカップの岬に到着した僕はレンタカーからカメラを出し、三脚を立ててシャッターを切る。
船が到着したのはその日の昼で、ホニングスバーグという町の港に降りてまごついていると、ノールカップ行きのバスを逃してしまったようだ。ここホニングスバーグは最寄の港町ではあるけど、北端である岬の40キロも手前だ。そしてノールカップ行きのバスは一日一本のみだという。ヒッチハイクを試みるもさっさとあきらめ、いっそのことレンタカーを借りることにした。どのみち帰りの船は明日だし、車だったら夜も明かせるだろう。国際免許証を持っていないのが気がかりだったけど、日本の免許証で簡単に貸してくれた。ゆるい。
ノールカップへ車を向ける。町を離れるとすぐにほとんど家もなくなり、岩山と丘と森と草原と湖だけの荒涼とした風景が広がる。雲間から差す低い日の光が湖に反射してまぶしい。一台も車が走っていない道は、風で少しハンドルが取られる。延々続く草原には時折トナカイが現れる。これがヨーロッパ最北端の風景。すごく寂しくてすごく幻想的である。
ノールカップには建物がひとつ建っているだけで、しかも閉館時間寸前だった。コーヒーを一杯だけ飲ませてもらって、地球儀のような形のモニュメントがある岬の突端へ歩いていく。切り立った崖の柵の向こう側は、暗く荒れた海に厚い雲が立ち込めて、絶えず突風が吹き付ける。正直旅の終わりという感慨もくそもない。でももうこれで次の目的地はない。旅の終点。
この後は来た道をストックホルムまで戻り、そこから飛行機で日本へはたったの一晩で着いてしまうことがただただ「科学ってすげえな」と思わせる。それはそれとして、僕の旅──次の目的地への前進──は終わったということになる。もう目的地はない。
もうない?
またもや僕はこれまで出会った人や、移動を繰り返した日々を思い出して考えた。僕は偶然日本で生まれて、そこで暮らして来ただけに過ぎない。他の国に生まれていたらどうだった?
日本に帰るということは僕にとってどういうことなんだろうか。
次の目的地を決めた。
次の目的地は日本だ。これまで通ってきたいくつもの町と同じように訪れ、ただちょっと自分にとって暮らしやすい国だから長めに滞在しようと思っている。
そしてまた出発する日が来るかもしれない。それまで家を借りて、仕事をして、猫を飼って、もしかしたら結婚して、次の出発の日は来ないかもしれない。そうでないかもしれない。
でも、それはどの国でもそうだった。
そして、やってみて出来ない事や行けない場所はそれほど多くはないということも、沢山の旅行者から教わった。
となるとここは最後の場所でもなんでもない、ただの寒い場所だ。もう行こう。
そして僕はまた2日かけてストックホルムへ戻り飛行機に乗るのだ。
–ノルウェー、ホニングスバーグ
ルーカとヴァレンチノに感謝と別れを告げてフェリーに乗り込む。
ノールカップ方面へのバスは一日一本、夕方しか出ない上に直でノールカップには行けず、けっこう手前の街、アルタまでだという。どうしようかとインフォメーションをうろついていると「船でいけばいいじゃない」。
船か。結構な値段がしそうだな、と二の足を踏んでしまうけど、まあもうすぐ帰るんだしケチってても仕方ないかと思い返す。なによりベッドで寝たい…と言うわけで優雅に「ナルヴィク号」という船で(しかもキャビンで)ノールカップを目指すことにした。片道20時間。
チェックインしてシャワーを浴びて泥のように眠り、目が覚めると船はフィヨルドを横目にノルウェー海を突き進んでいるところだった。
ときおり雲の隙間から日が差し込み、強い虹が出たり消えたりしている。その向こうに見える小さな島にいくつもの白い豆粒のような動物が見える。白熊だ。急な崖をゆっくり歩いている様はインドで見た羊みたいだ。
これから冬が来ると、あたり一面真っ白になってしまうんだろう。
それを見ることはなく、僕の旅はじき終わる。