2012.01.05 Zion N.P.

ザイオン。
グランドキャニオンは見下ろす国立公園だけど、ザイオンは見上げる国立公園。
渓谷の底を車でうねうねと入り込んでいく。カーブを曲がるたびに、倒れ掛かってきそうなほど圧倒的な絶壁が現れる。そのあまりのプレッシャーに、嫁は気分が悪くなってしまったようだ。

谷の影と日差しのコントラストが強すぎて、サングラスがないときつい。

車で行ける最奥からは、川沿いのトレッキングルートを徒歩でさらに奥へ。どんどん渓谷の幅が狭くなっていく。ついには「Narrows」と呼ばれる場所に至るが、そこから奥へは川の中を歩いていかなければならないようだ。川が流れていなかったら、ヨルダンのペトラのような雰囲気なんだろうな、と想像する。

2012.01.04 The East Temple

ユタ州カナーブという町のマクドナルドで休憩したところ、フライドポテトで通じず挙動不審に。不審そうな店員が「French Fries?」気を回してくれた。そうそう、それです。俺は必死に「揚げジャガイモ」を注文していたのだ。
ザイオン国立公園に東側から入る。そろそろ日も暮れてきたのでカナーブを抜けたあたりからモーテルを探し始めたのだが、どんどん山岳地帯へ。仕方ないからザイオンを抜けてハリケーンという町まで行くか、と思い始める。

ザ・イースト・テンプルと呼ばれる山。トレッキングスポットらしい。日没の際の光がかかって美しい。
この日は曙光はグランドキャニオン、暁光はザイオンと、日光を堪能した一日だった。

結局モーテルはザイオン国立公園の目の前の町、スプリングデールにたくさんあったけど、どこも受付時間を終了してしまっていた。しょうがないので安心のベストウェスタンへ。

2012.01.04 U.S. Highway 89

Pageの少し手前、BitterSprings近くにて。
キャメロンという町からページの間では、道端にいくつか露店を目にした。どうやら民芸品などを売っているようだ。
経営者が頻繁に変わるのか、場所が変わるのか知らないが、打ち捨てられ骨組みだけ残った場所もけっこう存在していた。

2012.01.04 Page, AZ, U.S.

この辺りには国立公園がひしめいており、グランドサークルと呼ばれている。由来は、パウエル湖という湖を中心にした半径230kmの地域だからだそうだ。そのパウエル湖のほとりにある町、ページに到着した。
ページにはアンテロープ・キャニオンという、風と水の芸術作品を楽しめる超有名な国立モニュメントがあるが、今から見に行くにはちょっと時間が遅すぎる。かといって、ここで一泊してしまうと翌日ラスベガスまでノンストップで走らなければならないため、かなりきついということで諦めた。しかし素通りするのも勿体無いので、大きな橋のそばで車を停め、グレン・キャニオン・ダムを眺める。
このダムはパウエル湖から流れだすコロラド川の始まりにある。この川がグランドキャニオンへと続き、さらに延々と流れてラスベガス近くのミード湖へとつながっている。

でかい。
高い。
嫁は高所恐怖症なので橋のたもとで待機。

看板の文章からしてスケールが違う。
この橋を渡ってしばらく行くと、アリゾナ州からユタ州へ入る。

2012.01.04 Grand Canyon N.P.

グランドキャニオン国立公園ではBright Angel Rodgeに宿泊した。
さすがに激安のラスベガスとは違って素泊まり一晩$92。しかしそれでも大人2人での値段だから、日本の相場からすると相当に安い。グランドキャニオンはこの時期、ともすれば積雪があったりするそうだが、幸いにも雪は全くなし。ただ深夜~明け方はかなり冷え込む。

日の出とともに明らかになる渓谷。演出的にも、昨夜グランドキャニオンを全然見れなかったのはむしろ幸運だったかもしれない。グランドキャニオンは言ってしまえばスケールがばかでかい峡谷なのだけど、この目の前に何もない空間があるというのは…なんとも形容しがたい感覚がある。あるべきものがごっそり無い不安、というか神秘性というか。壮大なものはそれだけで信仰の対象になるのがわかったように思う。

2012.01.03 Seligman, AZ, U.S.


キングマンという町で93号線からインターステート(州間高速道路)40号線に乗り換え、東へ。
運転に疲れたころ、休憩できそうな出口を見つけてちょっと立ち寄ったのはセリグマンという町だった。よく知らなかったのだが、インターステート40号線は、ここセリグマンで旧道と再び合流する。この旧道はいわゆるルート66、メイン・ストリート・オブ・アメリカだ。とはいえ州間高速の完成とともに国道66号は廃線となっており、アリゾナ州道66号として残っているようだ。

立ち寄った「Lilo’s Cafe」でコーヒーとミルクを注文する。どちらもバカでかいマグカップで出てくるところはさすがアメリカだ。年明けにもかかわらず、店内装飾は未だクリスマス仕様。女将さんが「クリスマス祝いすぎ」と苦笑いして一生懸命片付けていた。
せっかくなのでポストカードを買って、店のとなりにあった郵便局に投函する。
この絵葉書は帰国してひと月後にようやく到着した。

カフェインも補充したのでグランドキャニオンを目指す。次第に風景の植物の背丈が高くなり始める。そういえばグランドキャニオンの底は川が流れているんだということを思い出す。そのせいかどうかはわからないが…
日が沈む前には着くだろうとたかをくくっていたら、64号線に乗り換えてからの距離が予想以上で、結局着いたころにはすっかり日が沈んでしまっていた。

2012.01.03 U.S. Highway 93

ラスベガスに着いた翌日、レンタカーでアリゾナ州に入り、国道93号を南下してグランドキャニオンへ向かう。アメリカは広いので、図面に定規で引いたような、延々まっすぐな道が多い。正直広すぎて、そうでもないと管理が大変なのかもしれない。google mapでこの辺りとか見るとそう思う。それにしても、この遥かに続く道も誰かが作ったものなのだ。ここから道を作れ、仮にあの地平線まで…だとしても心が折れそうだ。灼熱の砂漠で黙々と工事をしてこの道を作った人に、心の中で敬意を表する。

2012.01.05 Desert Springs, AZ, U.S.

2012年初頭に嫁と(正確には出発時にはまだ嫁でなかった)出かけたアメリカ合衆国ラスベガス周辺旅行で、ネバダ、アリゾナ、ユタ州とぐるりと巡った中で一番気に入っている写真。

ザイオン国立公園からラスベガスへの帰路で、ドライブインも何もない場所であるが、ふと気になって停車したのを覚えている。撮ったときはあまり気に留めなかったが、後から見返すとこの時の旅の代表的な一枚であるなあ、と思うようになった。アメリカのスケール感、乾いた空気、懐の広さ…アメリカの手触りとでもいうような感覚を、僕が撮った中では最も表現している写真だと思う。

URU Live ─ Ahyoheekの遊び方

HiruandonさんとAhyoheekに挑戦した。
だが、Go!MagazineのAhyoheekトーナメント記事では実際のあそび方について触れられていなかったので二人とも訳わからず。

なので調べてみた。

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URU Live ─ Go Magazine #1 P6-10

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P.6-8 ─ MYSTの芸術─  テキストと写真 by Goldenthrush

ひらめきは数えきれないほど様々な方法でやってくる。
これはいちMYSTファン、Goldenthrushにとってはそうだ。

MYSTが発売されたとき、胡散臭い思いで見ていたことを思い出す。そのころ大抵のCD-ROMゲームといえば、きらびやかなパッケージ画像と似ても似つかないほどひどいゲーム画面のものが大半だったからだ。MYSTについても私はパッケージを一瞥してそれを信じなかったし、そのころの使っていたマシンはMac Plusで、それで十分であった。

数年後私は新しいマシンを手に入れ、両親がMYSTのコピーをくれた。私はせいぜい「Darkmist Castle」程度のゲームだろうと思いつつ起動した。
ファンタスティックなオープニングクレジットを観終わる頃には気がついた。これこそがゲームであると。ドキドキした!そして虜になった。色彩、ディティール、深み…それは信じられないほど凄かった。

美しい画面に組み込まれた悪魔的なパズルの発想に私の想像力はかき立てられ…危うく気絶しそうな程だった。
どうやってコレをやったんだ?彼らはどうやってこんな幻想的な世界を作り上げられたんだ?

MYST以降、CGや3DCGは芸術たり得るということが世界に示された

「コンピュータグラフィックスだって!?」それが普通の反応だった頃だ。しかしその後、まるで拷問のように3Dモデル、リギング、ピクセル圧縮、テクスチャなんかの情報が溢れた。
それは私の限られたコンピュータの知識にとっては複雑すぎ、私の小さいマックにそのプログラムは大きすぎた。
ある友人が私にPoserを見せてくれた。それは長年私の中にあったイメージへの扉を突然開くこととなった。想像上の惑星に広がる奇妙な人工物の景色、空気感さえも。

MYSTはCGや3DCGは芸術たり得るということを世界に示した。私もその流れに続いた。心の目に触発されたもの─どこか夢と現の間の風景の中に語られる物語─を、モデルやテクスチャを用いて再現することで。MYSTとそれに連なるゲームは今でも私を律する基準である。それは視界の雰囲気だったり、いくつかの画面にイースターエッグを仕込むことだったり(お気に入りなのはratsだ)。

MYSTシリーズのどれかを起動すると、その日はどんどん溢れてくる発想やアイデアを拾いあげるのに費やすことになる。あらゆるゲームがどんどん進歩していくが、それらの持つもともとの美しさが決して失われることはない。

Photos:
“待ち望まれた帰還” by Goldenthrush
“嵐の前” by Goldenthrush
“フィンランド最後の潜水艦” by LaughingPineapple

P.9-10 イタリア人Ahyoheekトーナメント  テキストと写真 by Leonardo and Sheykan

Ahyoheekは洞窟の各ネイバーフッドにみられるゲームだ。
それはジャンケンに似ていて、最大5人まで同時に遊ぶことができる。

しかし、Quartiere Italiano(QI、イタリア人ネイバーフッド)において、Until Uruの頃から何度もAhyoheekトーナメントが開催されていることはあまり知られていない。ちなみにこれを書いている現在、第4回が開催中だ。
このトーナメントの構成はシンプルで、2つのフェイズからなる。
「挑戦」と「ノックアウト」だ。
通常、ゲームは1対1で行われ、1試合3回戦である。

Ahyoheek:時を共に過ごすゲーム

このトーナメントのキモは時間を共に過ごす理由を作り出すことにある。
現在のトーナメントでさえ参加者はたった10名だ(さらにAとBのグループに分けられる)。フッドの他のメンバーは強い興味を持っているようだ。ある者は好奇心から。ある者は親しみから。ある者はゲームを学ぶために。そしてある者は、もっともっと多くの人々がこの“庭園の時代”の扉を開く、という願いを持って集まった。

第4回トーナメントは興奮の中スタートした。グループAはシェイカン、ベティ、レオナルド、ヤリシャー、そしてセレネラ。彼らは過去のトーナメントですでに会っており、それぞれの試合はネイバーフッドの人びとの間ではかなり有名である。
セシェロト、ジェペット、ギルガメシュ、ラフィンパイナップル(ピニー)、そしてロブはグループBだ。Bは挑戦者グループで、過去トーナメント経験者と新規参加者の混合となっている。

~中略:グループAの試合の様子(誰が誰に勝った、とか)~

~中略:グループBの試合の様子(誰が誰に勝った、とか)~

トーナメントの要約をするとグループAはレオナルドが8ポイントリード、しかしすぐ後ろにシェイカンとヤリシャーが迫っている。そのあとにベティ、セレネラの順。グループBはセシェロトとジェペットが同点首位。その下にロブ、続いてギルガメシュとピニーだ。

第4回Ahyoheekトーナメントはこれまでどおり大盛況で、皆が積極的または受動的にイベントに参加できる機会となった。意味のないものとして誕生したゲームが、今洞窟で大切な時間を過ごすためのものになっている。年齢や場所に関係なく、全ての冒険者を一つにすることがこのトーナメントの精神なのだ。それは皆に楽しまれ、祝われるイベントだ。

私たちのひそかな夢はこのトーナメントを国際的なコミュニティにすることだ。
とても実現できそうにない挑戦かもしれないが、夢は私たちを常に先へと向かわせ、そしていつか、時々このゲームがほんの僅かな時間でも現実生活の問題を忘れさせ、笑い、冗談をとばし、ストレスを取っ払い自分自身を楽しませるための一つの手段になればと思っている。

皆が覚えられ、共に時間を過ごすことができる─単純なゲーム。

…かなり適当な訳になってる恐れがあります。特にAhyoheekのほう。