カテゴリーアーカイブ 旅のこと

2012.01.04 The East Temple

ユタ州カナーブという町のマクドナルドで休憩したところ、フライドポテトで通じず挙動不審に。不審そうな店員が「French Fries?」気を回してくれた。そうそう、それです。俺は必死に「揚げジャガイモ」を注文していたのだ。
ザイオン国立公園に東側から入る。そろそろ日も暮れてきたのでカナーブを抜けたあたりからモーテルを探し始めたのだが、どんどん山岳地帯へ。仕方ないからザイオンを抜けてハリケーンという町まで行くか、と思い始める。

ザ・イースト・テンプルと呼ばれる山。トレッキングスポットらしい。日没の際の光がかかって美しい。
この日は曙光はグランドキャニオン、暁光はザイオンと、日光を堪能した一日だった。

結局モーテルはザイオン国立公園の目の前の町、スプリングデールにたくさんあったけど、どこも受付時間を終了してしまっていた。しょうがないので安心のベストウェスタンへ。

2012.01.04 U.S. Highway 89

Pageの少し手前、BitterSprings近くにて。
キャメロンという町からページの間では、道端にいくつか露店を目にした。どうやら民芸品などを売っているようだ。
経営者が頻繁に変わるのか、場所が変わるのか知らないが、打ち捨てられ骨組みだけ残った場所もけっこう存在していた。

2012.01.04 Page, AZ, U.S.

この辺りには国立公園がひしめいており、グランドサークルと呼ばれている。由来は、パウエル湖という湖を中心にした半径230kmの地域だからだそうだ。そのパウエル湖のほとりにある町、ページに到着した。
ページにはアンテロープ・キャニオンという、風と水の芸術作品を楽しめる超有名な国立モニュメントがあるが、今から見に行くにはちょっと時間が遅すぎる。かといって、ここで一泊してしまうと翌日ラスベガスまでノンストップで走らなければならないため、かなりきついということで諦めた。しかし素通りするのも勿体無いので、大きな橋のそばで車を停め、グレン・キャニオン・ダムを眺める。
このダムはパウエル湖から流れだすコロラド川の始まりにある。この川がグランドキャニオンへと続き、さらに延々と流れてラスベガス近くのミード湖へとつながっている。

でかい。
高い。
嫁は高所恐怖症なので橋のたもとで待機。

看板の文章からしてスケールが違う。
この橋を渡ってしばらく行くと、アリゾナ州からユタ州へ入る。

2012.01.04 Grand Canyon N.P.

グランドキャニオン国立公園ではBright Angel Rodgeに宿泊した。
さすがに激安のラスベガスとは違って素泊まり一晩$92。しかしそれでも大人2人での値段だから、日本の相場からすると相当に安い。グランドキャニオンはこの時期、ともすれば積雪があったりするそうだが、幸いにも雪は全くなし。ただ深夜~明け方はかなり冷え込む。

日の出とともに明らかになる渓谷。演出的にも、昨夜グランドキャニオンを全然見れなかったのはむしろ幸運だったかもしれない。グランドキャニオンは言ってしまえばスケールがばかでかい峡谷なのだけど、この目の前に何もない空間があるというのは…なんとも形容しがたい感覚がある。あるべきものがごっそり無い不安、というか神秘性というか。壮大なものはそれだけで信仰の対象になるのがわかったように思う。

2012.01.03 Seligman, AZ, U.S.


キングマンという町で93号線からインターステート(州間高速道路)40号線に乗り換え、東へ。
運転に疲れたころ、休憩できそうな出口を見つけてちょっと立ち寄ったのはセリグマンという町だった。よく知らなかったのだが、インターステート40号線は、ここセリグマンで旧道と再び合流する。この旧道はいわゆるルート66、メイン・ストリート・オブ・アメリカだ。とはいえ州間高速の完成とともに国道66号は廃線となっており、アリゾナ州道66号として残っているようだ。

立ち寄った「Lilo’s Cafe」でコーヒーとミルクを注文する。どちらもバカでかいマグカップで出てくるところはさすがアメリカだ。年明けにもかかわらず、店内装飾は未だクリスマス仕様。女将さんが「クリスマス祝いすぎ」と苦笑いして一生懸命片付けていた。
せっかくなのでポストカードを買って、店のとなりにあった郵便局に投函する。
この絵葉書は帰国してひと月後にようやく到着した。

カフェインも補充したのでグランドキャニオンを目指す。次第に風景の植物の背丈が高くなり始める。そういえばグランドキャニオンの底は川が流れているんだということを思い出す。そのせいかどうかはわからないが…
日が沈む前には着くだろうとたかをくくっていたら、64号線に乗り換えてからの距離が予想以上で、結局着いたころにはすっかり日が沈んでしまっていた。

2012.01.03 U.S. Highway 93

ラスベガスに着いた翌日、レンタカーでアリゾナ州に入り、国道93号を南下してグランドキャニオンへ向かう。アメリカは広いので、図面に定規で引いたような、延々まっすぐな道が多い。正直広すぎて、そうでもないと管理が大変なのかもしれない。google mapでこの辺りとか見るとそう思う。それにしても、この遥かに続く道も誰かが作ったものなのだ。ここから道を作れ、仮にあの地平線まで…だとしても心が折れそうだ。灼熱の砂漠で黙々と工事をしてこの道を作った人に、心の中で敬意を表する。

2012.01.05 Desert Springs, AZ, U.S.

2012年初頭に嫁と(正確には出発時にはまだ嫁でなかった)出かけたアメリカ合衆国ラスベガス周辺旅行で、ネバダ、アリゾナ、ユタ州とぐるりと巡った中で一番気に入っている写真。

ザイオン国立公園からラスベガスへの帰路で、ドライブインも何もない場所であるが、ふと気になって停車したのを覚えている。撮ったときはあまり気に留めなかったが、後から見返すとこの時の旅の代表的な一枚であるなあ、と思うようになった。アメリカのスケール感、乾いた空気、懐の広さ…アメリカの手触りとでもいうような感覚を、僕が撮った中では最も表現している写真だと思う。

チェンマイ再び

–タイ、チェンマイ

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 「Jun! Welcome back!」
 チェンマイに着いた翌日、ソンクラーンに賑わうお濠沿いを歩いていると、丁度一年前と同じ場所に、これまた一年前と同じ顔が揃っていた。
 「ノン!サワディービーマイカップ!」
 ノンは嬉しそうに僕にビールを勧めてくれた。
 チェンマイに着いたのは前日の夕方で、空港のロビーを出た瞬間にむっとした空気が僕を包んだ。懐かしい匂いがする。嗅覚はすごい、と思った。もうほとんど忘れてしまっていた匂いなのに、嗅いだ瞬間、あれ、タイを離れたのは一昨日だっけ?とばかりに一瞬で一年前に戻ったような気分になる。
 さっそくタイペーゲートまでタクシーで移動し、スミヤ君に連絡を取る。スミヤ君とはチェンマイでしか会った事がないという不思議な関係だけど、その人当たりの良さはいつも、まるで小学校からの友人のような気安さを与えてくれる。電話から聞こえてきた「ウイスキー・ゲストハウスで」という声や、一年前泊まったバナナ・ゲストハウス近辺の風景はさらに時間の感覚を失わせ、路地の角でスクーターに腰掛けて僕を待ち構えていたスミヤ君を見た瞬間、時間は2006年の4月17日に繋がった。
 「おかえりー。」
 「ただいま。」
 「それにしても、全然変わってないなー。」
 ノンとビールを飲みながらそんな話をする。相変わらず若い子たちはお濠に飛び込み、バケツで水をぶっかけ合い、たまに救急車が駆け抜け、ノンは僕のタバコとビールが濡れないように小さなバケツを被せてくれる。
 「いろいろ変わったこともあるよ。」ノンは言った。
 そう言われてよく見ると、昨年は見かけた筒状の水鉄砲は全然見かけなくなっていた(水圧が強くて危険だかららしい)。かわりに、見た目はごついけど水圧は弱い水鉄砲が主流になっているようだ。そして「ボーイはもうトゥクトゥクに乗ってない。」
 同じように見えても、確実に一年が経っているんだな、と思った。でも一年が経った今でも、日本からおよそ8時間、このタイの一都市で、去年とほぼ同じ顔ぶれで水をぶっかけ合ったり、酒を飲んだり、鍋をつついたり出来る。そのことが単純に嬉しい。
 嬉しいことは他にもあった。バナナ・ゲストハウスでカオソーイを食べに行った時に出合ったケンザブロウさんは、この後ベトナム、カンボジアと回るという。去年を思い出して懐かしくなる僕に、彼はこう言った。
 「次も気になるけど…、チェンマイから移動したくねぇー。」
 その気持ち分かりすぎるほど分かります。
 そして信じられないことには、去年毎日のように行っていたネットカフェ「Ticky’s Cafe」に懐かしさ一杯で入ると、女主人のTickyが「あなた見たことある。…去年?」と言ってくれた。「ありがとう、よく覚えてるね。」「知ってる顔の気がした…髪型変えた?」確かに去年と違って、今は偽アフロだ。
 こういう所が、それなりに街なのになんだか居座ってしまうチェンマイという場所の良さを端的に表していると思う。
 5日間の滞在だったけど、今回も忘れられない出来事だらけだった。ノンの家で鍋して酔いつぶれて寝たこと。ボーイの胸に判別不能なタトゥーが入っていて笑ったこと。フィリピンから来たクーンとノンを引っ張りまわしてナイトバザールを歩き回ったこと。スミヤ君とその彼女とスクーター3ケツで、帰りにパンクしながらもタイマッサージに行ったこと。夜空を浮かぶおもちゃの熱気球を「UFOだよ」とか騙されたこと。ミスターウイスキーが面白すぎたこと。飲み屋の帰りに紙一重で野犬に噛まれそうだったこと。
 そして、空港まで見送りに来てくれた皆に手を振って思ったことは、
 来年も必ずここに帰ろう。
 ※今回メガネは無事でしたw

おわりに

 これで僕が26歳の終わりに行った旅行の話はおしまいです。この後ストックホルムで僕は27歳になり、翌日、日本への飛行機に乗り込みました。
 日本しか知らなかった頃よりも、日本のことが好きになった気がします。
 それはもしかすると、今までよりも少しだけ客観的に見たり比較することのできる物差しのようなものを知らず知らず手に入れたからだろうか、と思います。
 とりあえず関空のキオスクで缶コーヒーを買って味に感動し(あまり缶コーヒーって売ってなかったか、あっても恐ろしくまずかった)、おばちゃんに「ありがとうございました」と言われてまた感動しました(買い物してお礼を言われた!!)。日本はやっぱり良い所を沢山持っている国です。
 気前よく送り出してくださった会社の方々、旅行中に出会った皆、メールをくださった人、コメントを書いてくださった人、そして遅れに遅れたこのブログを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
 しばらくしたら猫日記始めます。

ノルウェー、ナルヴィク駅にて

終点、または通過点

–ノルウェー、ノールカップ

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 北緯71度10分21秒
 垂れ込める雲から時折青い空が覗く。容赦なく吹き付けてくる海風は立っていられないほど。
 ノールカップの岬に到着した僕はレンタカーからカメラを出し、三脚を立ててシャッターを切る。
 船が到着したのはその日の昼で、ホニングスバーグという町の港に降りてまごついていると、ノールカップ行きのバスを逃してしまったようだ。ここホニングスバーグは最寄の港町ではあるけど、北端である岬の40キロも手前だ。そしてノールカップ行きのバスは一日一本のみだという。ヒッチハイクを試みるもさっさとあきらめ、いっそのことレンタカーを借りることにした。どのみち帰りの船は明日だし、車だったら夜も明かせるだろう。国際免許証を持っていないのが気がかりだったけど、日本の免許証で簡単に貸してくれた。ゆるい。
 ノールカップへ車を向ける。町を離れるとすぐにほとんど家もなくなり、岩山と丘と森と草原と湖だけの荒涼とした風景が広がる。雲間から差す低い日の光が湖に反射してまぶしい。一台も車が走っていない道は、風で少しハンドルが取られる。延々続く草原には時折トナカイが現れる。これがヨーロッパ最北端の風景。すごく寂しくてすごく幻想的である。
 ノールカップには建物がひとつ建っているだけで、しかも閉館時間寸前だった。コーヒーを一杯だけ飲ませてもらって、地球儀のような形のモニュメントがある岬の突端へ歩いていく。切り立った崖の柵の向こう側は、暗く荒れた海に厚い雲が立ち込めて、絶えず突風が吹き付ける。正直旅の終わりという感慨もくそもない。でももうこれで次の目的地はない。旅の終点。
 この後は来た道をストックホルムまで戻り、そこから飛行機で日本へはたったの一晩で着いてしまうことがただただ「科学ってすげえな」と思わせる。それはそれとして、僕の旅──次の目的地への前進──は終わったということになる。もう目的地はない。
 もうない?
 またもや僕はこれまで出会った人や、移動を繰り返した日々を思い出して考えた。僕は偶然日本で生まれて、そこで暮らして来ただけに過ぎない。他の国に生まれていたらどうだった?
 日本に帰るということは僕にとってどういうことなんだろうか。
 次の目的地を決めた。
 次の目的地は日本だ。これまで通ってきたいくつもの町と同じように訪れ、ただちょっと自分にとって暮らしやすい国だから長めに滞在しようと思っている。
 そしてまた出発する日が来るかもしれない。それまで家を借りて、仕事をして、猫を飼って、もしかしたら結婚して、次の出発の日は来ないかもしれない。そうでないかもしれない。
 でも、それはどの国でもそうだった。
 そして、やってみて出来ない事や行けない場所はそれほど多くはないということも、沢山の旅行者から教わった。
 となるとここは最後の場所でもなんでもない、ただの寒い場所だ。もう行こう。
 そして僕はまた2日かけてストックホルムへ戻り飛行機に乗るのだ。