カテゴリーアーカイブ パキスタン

男と男の何ですか

–パキスタン、クエッタ

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 午前中には戦闘機が何機も爆音を響かせて横切っていく街、クエッタでアブドゥルに出会う。
 といってもアブドゥルという名前はたくさんいるようで。スタンドは使えないようだ(当然だけど)。
 そのアブドゥルからの質問。
 「日本ではboth boyのsexはあるのか?」
 「ボーズボーイ?」
 「男と男でアレをするのかってことだ」
 「あー。いやー…まあ、あると思うよ、でもそういう人はほとんどいないよ」
 「そういう人たちはオープンにしてるのか?」
 「いや!オープンじゃないなーきっと」
 「そうなのか?」
 「パキスタンではオープンなの」
 「パキスタンはオープンだ。珍しいことじゃない。なんでかっていうと女性とするのが難しい、そっちはオープンじゃないからだ。だから男同士でする。時には相手にお金を支払うこともある」
 「マジで!?」
 「ああ、お前は男としないのか?」
 「しないよ!そうなのかー凄いな…アブドゥルも男のほうが好きなの?」
 「いや、俺は女のほうが好きだ」
 「あー安心したよ」
 カルチャーショック。

 そんなアブドゥルは学校の先生だった。いいのか。
 しかも名門校っぽいし。

 なんにせよ、子どもの笑顔はどこの国でも最高だ。
 

死の丘独行ルート

–パキスタン、モヘンジョ・ダロ

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 遂に来てしまった。世界最古という説もある、世界史の教科書で誰もが目にしたことがあるであろう、モヘンジョ・ダロ遺跡群。
 石の覆いの付いた排水路、整然とした街並み等の高度な設計をされた都市という以上に、未だ解読されないインダス文字、地球の裏側イースター島のロンゴロンゴ文字との異常な類似性、トリニタイト群の存在、埋葬されずに一箇所からまとめて発見された16体の骨、謎の民族、唐突な原因不明の滅亡、古くから呼ばれてきた「死の丘」という名前───。
 アツすぎます。
 そして気温も暑すぎます。
 多分50℃超えています。
 しかも意外と広い。おそらく2km四方はあるんじゃないだろうか。遺跡はいくつかのエリアに別れていて、またそのエリアからエリアまでが遠い。この時期は最も暑い季節らしく、観光客は誰もいない。ただ一人で古代の遺跡に立ち尽くすと、まるで古代の生活の中に入り込んでしまったような気分になれて良いのだけど、昼ごろ2つほどのエリアを見て回っていると、頭がくらくらしてきた。このままでは熱射病になるかもしれない。
 いったん出直して夕方に出かけると、やっぱり暑い。最も遠いエリアに至ると、見渡す限り瓦礫と低木の荒野だ。水も少なくなり、そろそろ戻ろうか…と思っていると、遥か向こうの方からダンボールを肩に担いだ男が向かってくるのが見える。地元の農夫だろうか。すれ違おうとしたとき、男が口を開いた。
 「Water?」
 「えっ?」
 なんとダンボールの中には、ミネラルウォーター、コーラ、マンゴージュース等が詰め込まれている。しかも冷えている!幻じゃないかと思った。どうやって冷やしてるんだ?つか、お前どこから来たんだ??
 混乱しながら代金を渡すと、男は再びダンボールをかついで焼けた遺跡の陽炎の中を去っていった。僕の手にはコーラの瓶が残った。夢じゃないようだ。それにしても、なんてハードな商売だ…でも、まあ、助かった。

ラルカナの家で

–パキスタン、ラルカナ

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 ローリー駅からオートリクシャで川向こうの街、サッカルへ移動し、ラルカナへ向かうバスに乗る。
 パキスタンの人はとても親切で、見ず知らずの胡散臭い旅行者の僕を、言葉が通じなくても何とかしようとしてくれる。バスの中で隣に座った青年、Zubairは「ぜひうちに来い」と言ってくれて、朝からお邪魔することになった。
 彼の家族は20人いるらしい。大家族だ。パキスタンでは一家一族がひとつの家に暮らすので、珍しくはないのだという。
 「彼は兄。となりはいとこ。その隣は弟。この子は兄の子供、いとこの子供…」
 彼ら全員に囲まれて質問攻めに合う。

 「日本のどこから来たんだ?」
 「広島だよ」
 「知ってるぞ、広島・長崎…」

 原子爆弾を落とされた都市として、彼らも知っているようだった。

 「爆弾が落ちた後、広島はどうなってるんだ?」
 「今はすっかり復興して、100万人住んでるよ」
 「後遺症をもった病人はいないのか?」
 「少しは…皆高齢者だけど」
 「この子も放射線病なんだ」

 Zubairが示したのは、いとこの子供の数人だった。
 よく見ると、坊主頭の頭髪がまだらに抜け落ちている。

 「放射線病?なんで?」
 「彼らは以前アフガニスタンにいたんだ。そこで被曝した」
 「アフガニスタンで?爆撃したのはどこの国?いや、実験かな…」
 「イランだ」

 イランが実験や爆撃をしたことがあったのだろうか?僕の聞き間違いかもしれない。
 後で調べてみたところ、もしかしたら、米英のアフガン空爆時に使用された劣化ウラン弾による影響なのかもしれない。
 まだ10歳にも満たないだろう小さな子が、クマの出来た目で僕を見つめている。Zubairが尋ねる。

 「日本の被爆者は、今は治ったのか?」

 僕は答えに困って、「多分」と嘘をついた。

異臭さわぎ

–パキスタン、ローリー

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 ラホールからようやく乗り込んだ寝台車。本当なら駅から数キロ離れた予約オフィスでなければチケットが取れない、といわれたけどなんとかエアコン車両を融通してもらえた。が、寒い。最初こそ「涼しい~ここは天国か!?」とか盛り上がったのだけど、夜も更けてくるにつれて半袖シャツの腕に鳥肌が立ち始める。周りを見渡すと、乗客は各々毛布に包まっている。乗った直後に毛布貸し(有料)が来たのはこのためか…。この灼熱のパキスタンで、凍えるほどガンガンのエアコンの中、毛布に包まって暖を取る。なんか贅沢な気がしないでもないが、温度上げろよ。
 手持ちの手ぬぐいを気持ち程度に巻きつけてなんとか寝ていると、ふと目が覚めた。時計は夜の2時を指している。何でこんな時間に目が覚めるんだ…まて、なんか白い。
 見ると僕の乗っている車両一面に濃く白い霞がかかっている。鼻をつく硫黄臭。──火事か!?まさか、テロ?
 同車両のパキスタン人たちもざわついている。しかし確認に向かった人たちは特に慌てるふうでもなく戻ってくる。何なんだ一体?
 「まあ、なんにしても逃げ場はないし、死ぬときは死ぬし、ほっとこう」と思って、再び寝た。朝目覚めると、何事もなかったかのように静まり返って痕跡もない。結局何が原因だったのかわからないまま、ローリーに到着。ホームでチャイを飲んだ後、トイレで鏡をみると顔が真っ黒に汚れていた。
 写真は明け方に見たインダス川(多分)。

暇つぶし地獄

–パキスタン、ラホール

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 そろそろエンヤ婆あたりに遭遇しそうだ。
 パキスタンにやって来た。やって来たはいいが、前情報、ガイドブック、マップなど必要と思われる諸々を全く持っていないことに気がつく(いや、知ってたけど収集を怠った)。唯一のパキスタン情報、それは僕のノートに走り書きされた「ラホール、リーガルインターネットイン」というホテルの名前とその住所。のみ。しかもラホールは予想を遥かに上回る勢いの大きな街で、その宿にたどり着くまでにも右往左往を余儀なくされる。
 それにしても、この先進むことになるであろう街の名前も、知ってるのはラホール、フンザ、イスラマバードくらい。ちなみにフンザにもイスラマバードにも行く予定はナシ!つまりは情報ゼロ!
 こんな怠けた様な意気で臨んだパキスタン。あれ…英語が通じない…
 ますます包囲網が狭められていく様が脳裏をよぎりつつ、なんとか列車のチケットを予約するためにラホール駅へ。結果、チケット取るのに半日かかり、列車の発車までまた半日。ラホールの名所がナニかすらまったく分からないため、延々駅のホームに座り続けました。退屈に殺されるかと思いました。デリーの古本屋で買った「吾輩は猫である」を2回通して読めるくらいの暇加減でした。
 斯くの如く、ラホールでは全く観光も何もせずに、本日その名を知ったばかりのローリーという街への列車に乗り込む。何もしてないのにやたら疲れた。