カテゴリーアーカイブ ユーラシア(2006)

これはお前のライフラインだ!

–インド、レー

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 レーの病院は、デリーで同行者が食中りになったときに行った病院とはぜんぜん違って綺麗だった。すべての判断を放棄しているうちに入院した僕は、キンキンしたしゃべり方の看護師のおばさんに鼻の穴に酸素チューブを突っ込まれてベッドに寝かされた。しかしチューブのせいか鼻水がだらだら出て不快な上にしばらくすると勝手に外れてしまう。その都度目覚めて何度もセットしなおさざるを得ない。僕はそのうち位置を直すことをあきらめた。するとそれを見たドクターが、

 「これはお前のライフラインだ!絶対はずすな!!」

 といっても何もしなくても勝手に外れるし…。
 病気のせいだとは思うが、かなり殺伐とした精神状態で一晩を過ごし、その間中考えたことは「一刻も早く病院を出たいなあ」だった。よく考えると僕はまだレーの町を一目も見ていない。

 翌日、昼前になってようやく現れたドクターが「もう大丈夫か?」僕「もう大丈夫」それで退院となった。簡単すぎる、と思ったけど文句をいうこともないので沈黙。おばさんに診察代や薬代が気になったので尋ねてみると、ここは政府の病院だからお金はいらないのよ、と教えてくれた。

ルーズモーション

–インド、レー

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 目がさめたら横になっていた。なにがどうやらさっぱりはっきりしない気分で見回すと、すぐ右手に同行者が布団にくるまっているのが見える。どうやら何処かの宿に運び込まれたらしい。宿、といっても部屋ははっきり言ってただの土間である。窓から見える空は曇っていて、昼間のようだけど一体僕はどれくらい寝ていたのかも知れない。相変わらず気分は最悪で、何度も目覚めては眠りに落ちるのを繰り返すと、何度目かには夜になっていた。天井にあると思っていた明かりはどうやらただの「穴」だったらしく、その穴から真っ暗な空が覗いている。僕は目覚めた時点で「ああ、レーに着いたのか」と思っていたのだが実はその宿はレーの80km程手前の村落で、休憩のとき僕が全く目を覚まさなかったために「もうここでおまえら泊まってけ」ということになったらしい。なにもこんな中途半端なところで降ろさなくても…レーまで行けば病院だってある。
 のどが渇いたので水を飲み、そうするうちにトイレに行きたくなってきた。凡そまともに歩けるとも思えなかったが仕方なく起き上がると同時にすっ転び、そして生まれたての小鹿みたいな足取りでトイレを探すけど、はっきり言ってその部屋を出たのすら初めてだったので全く造りがわからない。適当にドアをへばりつくように開けると「穴」があった。どうやらトイレのようだけど、簡単に言うと土の床の2階建ての建物の、2階の床部分に50cm四方ほどの穴が掘られている。それだけのトイレだ。穴からは1階部分というか、所謂トイレの底が覗いている。覗き込むと落っこちそうなのでやめておいた。それにしてもこのトイレは今まで見た中で最強だ。
 結局その宿に何日間居たのか未だによくわからない。
 おそらく1日か2日ほどだと思うけど、なんだかよく判断できないうちに僕はローカルバスに乗って、ガタガタ震えながらレーにたどり着いた。到着と同時に僕は入院した。

レーへ

–インド、レー

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 この旅行に出かける前から、レーはどうしても行きたい場所のひとつだった。とあるブログでレーの写真を見て、その抜けるような、というよりも青黒いとすら表現できる青空に魅せられてしまったのだ。
 そういう訳で、「いよいよだぞ」という浮き立つ気分とともにジープタクシーに乗り込んだ。ヴァシシトからの出発時刻は午前2時30分。到着は午後11時とのことだ。ほぼ一日がかりである。こりゃ疲れそうだな、とその時はそう思うだけだったが、移動するにしたがって僕の体調には予想以上の異変が起こり始めた。
 高山病である。
 レーに至るまでに5000m級の峠を3つ程越えることになるのだが、2つ目の峠に差し掛かった頃、僕の体は明らかに自由を失っていた。まさか自分は高山病になんかならないだろう、と根拠のない自信があったのだが、身体の異常は明らかに強力になっていく。次第に頭痛が始まり、3度目のパスポートコントロールのためにジープを降りたときには既にまっすぐ歩くことさえできない。まるで千鳥足だ。何度もすっ転びながら辛うじてパスポートチェックを済ませジープに戻っても、体中の震えが止まらない。ガタガタする足を押さえつけながら、同行者に「もしかしたらレーに着くまでにダウンしてしまうかもしれない、その時はごめんけど宜しくね」とお願いして眠りに落ちた。後で聞いたところによると僕はそのまま気を失ってしまったようだ。

温泉ハシゴ

–インド、ヴァシシト

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 キリガンガー、マニカランを後にした次の目的地はマナリだ。インドの避暑地として超有名なここから、バスに乗ってラダック地方、レーを目指そうと決めていた。しかしマナリはもろにオンシーズンということもあるのか、ホテルがべらぼうに高い。
 道すがら、ある日本人から「マナリから4キロほど行った所の村、ヴァシシトが良いよ」と聞いていたのでいっそのこと行ってみることに。それにしてもまた温泉地だ。
 ヴァシシトに到着したはいいがゲストハウスはどこも一杯で途方にくれていると、見知らぬおっさんが「ローカルハウスルームがある。ついて来い」と言う。ついて行くと、普通にそのおっさんの家だった。あ、民宿か。でも居心地良いし何より安い(一人40Rs!)ので即決だー。シャワーはないが温泉があるし。
 このヴァシスト村、旅人の間ではそれはそれは有名らしく何人もの日本人旅行者と出会った。そしてチベタンカフェで寄生獣を熟読する26歳俺。

空中温泉

–インド、キリガンガー

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 ようやく到着したそこは高い山の丘の中腹に温泉が湧いていて、そこに浸かりながら絶景を眺めることのできる、まさしく天国のような場所だった。
 体を流してから湯船に浸かると、全身から疲労が染み出ていくかのようだ。
 正面には壁としか表現できない山、てっぺんに残る雪が溶け出してそれがいく筋もの細い滝を形成して、パールバティ川に流れ込むパノラマを見ることができる。
 辺りには牛と鳥、少し下のほうでは単調なリズムで石を打つ地元の夫婦が一組見える。その他に何もない。青い空と山。天国としか形容ができない語彙力が情けない。

 同行者と協議した結果、今日中にマニカランへ戻ろうということになり後ろ髪引かれる思いで立ち去る。2、3日滞在すればよかったと、実は今でも後悔している。次にインドに来た時は、一直線に目指してもいいかな、と思う。何時の事かは知れないけれど。
 下りは快調に、2時間半ほどでビリシャイニーへ到着。快調とはいいつつも、笑う膝を誤魔化すことはできなかった。がくがく。

歩いて行けるよ?

–インド、キリガンガー

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 マニカランからキリガンガーまでの距離は地図にして約24km。まずは15km先のビリシャイニーとかいう村までタクシーで向かう。爆音で流れるインディアン・ヒップホップが楽しい。そこから先は歩きになる。差し引き9kmだ。
 なんだ意外と楽ちんっぽいっじゃないか、とか思ってたんですが甘かった。幅1mほどの道を踏み外すと50m下のパールバティ川の激流に飲まれるようなアップダウン激しい道を約3時間半。日ごろの運動不足が非常に恨め…しい…ゼエゼエ。
 ところどころで川の両岸に、または谷から谷へロープウェイが張ってあり、たまに木材がヒューンという音を立てて滑っていく。ああ…あれに乗りたいなあ…
 もうそろそろかな?と思っていたところに欧米人女性の団体が向こうからやってきたので、「まだまだかかる?」と聞いたら「すぐよ!」それを聞いて俄かに活気付く我々。ちなみにそこから1時間かかりました。このッ…!そういえば向こうは下りだったか。しまった。
 あたりは一面の山。そして川。フィトンチッドやらマイナスイオンやらがすごいことになってるんだろうなーとか思いながらてくてくと歩く。

インド秘湯ぶらり旅

–インド、マニカラン

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 ここマニカランはインドでも有名な温泉地だ。町の真ん中をパールバティ川が激流となって流れており、そこに注ぎ込む温泉の湯が白い煙を立てている。ただし僕の目的地はここではない。以前出会ったフランス人のジェジェという奴が言っていたことには、ここよりさらにパールバティ川をさかのぼると、山の上に温泉が湧いていて素晴らしい眺めを楽しむことのできる「キリガンガー」という村があるというのだ。
 ジェジェ曰く「歩いて行けるよ」とのことだったので、とりあえずこのマニカランをベースタウンにして、次の日キリガンガーを目指すことにする。

壁のような山

–インド、ブンタール

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 チャンディーガルから即バスに乗ってマナリ方面とパールバティ峡谷の分岐点にあたるブンタールという町へやってきた。とりあえず、山が高い…上方へまるで壁のようにそびえ立っている。しかもあんなとこまで!?というところまで家が建っていて、夜になるとどこからどこまでが夜空なんだか判らなくなるほど美しい。
 ここで、マナリ方面から流れるビアス川と、マニカラン奥を源泉とするパールバティ川の2つの川が合流するのだが、2つの川の色が見事に違っていて面白い。
 一晩休んで、パールバティ峡谷を抜けたところにある温泉地、マニカランを目指すことにする。

酒盛りプラットホーム

–インド、デリー

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 ビザを申請したところ、「一週間後に来い!」と言われたため、排気ガスに塗れるデリーは早々に脱出して北のほうへ向かおうということになり、オールド・デリー駅にてチャンディーガル行きの列車を待つ。どうやら到着が遅れているようで、パックの重さにも疲れてぼけーっと列車を待っていると、隣に座っている4人組のインド人が話しかけてきた。
 「どこから来たんだ?」
 「日本か。アリガトー!サヨナラー!」(さよならかよ)
 「おい、これ食え!旨いぞ!チャパティは何枚いる?」
 「インドは何度目だ?」
 「よし、オマエも一杯飲め!」
 そしてプラットホームで始まる酒盛り。目の前では、駅のど真ん中だというのにおじいちゃんが2本の線路の真ん中で放尿している。
 僕はインド人が好きだ。

建築狂の思い出

–インド、アーグラー

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 アーグラーといえばなじみが薄いかもしれないが、タージ・マハルといえば誰もが知っているインドを代表する世界遺産だ。建築狂として知られるシャー・ジャハーン帝がたった一人、彼の王妃のために作った墓廟だそうだ。
 伴侶のために、国中を2年間も喪に服させたり、国庫が尽きるほどの金をつぎ込んで想いを墓に形作る。民衆にとってはたまったものではないだろうが、そこまでやってしまうシャー・ジャハーンという人は、ちょっと格好良い。