突然の誘い

突然の誘い

–イラン、シーラーズ

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 名前だけはなんとなく聞き覚えのあったシーラーズに到着したのは次の朝だった。道中なにかと世話を焼いてくれた英語の話せる青年が、
 「ホテルは決まってるの?よかったら僕のうちに来ないか?」
 パキスタンのZubair家での楽しい時間が頭に浮かんだ僕は、「いいの?行く行く!」と簡単に返事をしてしまった。そしてバスを降り、彼の家に向かう…と思ったら、彼は一人の男をつかまえて「彼はタクシードライバーで、僕の友達だ。彼がホテルまで連れて行ってくれるよ」と言ってスタスタ歩き去ってしまった。あれ?家に連れて行ってくれるんじゃなかったの?…と思ったけど、まあいくらなんでも昨日会ったばかりの人の家に押しかけるのは流石に申し訳ないし、ホテルのほうが気楽な部分も大きい。そう考えて、僕はホテルへと向かった。
 夕方、ホテルの周りをぶらついていると、自転車に乗った3人組に出会う。あれ、日本人かな…と思っていると、向こうから話しかけてきてくれた。「こんにちは!」「こんにちは」「おおっ日本人だ!ちょうどいいここで休憩にしよう!」
 そう言って3人組は「そこ」つまり普通の道端でシートを広げだした。長いこと旅をしているような雰囲気が感じられる。彼らの名前は「けいさん」「ミヤくん」そしてフィンランド人だという「タトゥー」と名乗った。
 いろいろ話しているうちに、なんとその人は「けいの無銭旅行記」のけいさんその人であることが判明。パキスタン、イランと現在は自転車での旅を続けているとのこと。けいさん達に夕食までごちそうになり、話をしているうちに以下のような話が出た。
 「イランの人たちはよく『家に来ないか』と誘ってくれるけど、どうやらあれは社交辞令のようなものらしい」
 けいさんたちは主に自転車移動の野宿生活をされていて、イランの人と話すとかなりの割合で「家に来い」と誘われるそうだ。でも「行く行く!」と言うと途端に「明日は大事な用事があるんだった」「自転車は車に乗らないから、申し訳ない」等と言って去っていくらしい。
 なるほどと思い返すと、そういえば今日の朝の青年の態度はそれに近かったかもしれない。「だからって、決してイランの人たちが嘘つきなんじゃなくて、そういうものなんだろうね」
 僕は日本の京都を連想した。京都では来客にそろそろ帰ってほしい時にはお茶漬けをすすめるという。イランにもそれと同じような、洗練された断り方という感じを受けた。おもしろいもんだ。
 けいさん達はこの後北上して、世界最大の湖、カスピ海を手漕ぎボートで横断するという計画がある、と教えてくれた。「一緒に行かない?」
 一緒に行くとなると、僕の旅の計画は大幅に変更になる。けっこうスケジュール的にはキツキツで、カスピ海横断、そこまでの自転車移動などを考えるといくつもの国を諦めなければならない。しかし、そんなことは普通なら一生できることじゃない。カスピ海を船で横断…その達成感は素晴らしいものだろう。
 しばらく考えたものの、言ってしまった。「行きます」。
 けいさん達はビックリして、「よく考えたほうがいいよ」と言ってくれたが、僕はこう考えた。いくつかの国は諦めることになるけど、それはまたいつか行く機会があるだろう──。このイランの一都市での偶然の出会いは、カスピ海横断なんていうイベントは、多分、二度とない。僕は心を決めて、再度決心を伝え、イラン中部の街イスファハンで再び落ち合うことを約束して別れた。
 ところが次の街イスファハンで、僕はカスピ海どころではなくなってしまった。