ラルカナの家で

ラルカナの家で

–パキスタン、ラルカナ

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 ローリー駅からオートリクシャで川向こうの街、サッカルへ移動し、ラルカナへ向かうバスに乗る。
 パキスタンの人はとても親切で、見ず知らずの胡散臭い旅行者の僕を、言葉が通じなくても何とかしようとしてくれる。バスの中で隣に座った青年、Zubairは「ぜひうちに来い」と言ってくれて、朝からお邪魔することになった。
 彼の家族は20人いるらしい。大家族だ。パキスタンでは一家一族がひとつの家に暮らすので、珍しくはないのだという。
 「彼は兄。となりはいとこ。その隣は弟。この子は兄の子供、いとこの子供…」
 彼ら全員に囲まれて質問攻めに合う。

 「日本のどこから来たんだ?」
 「広島だよ」
 「知ってるぞ、広島・長崎…」

 原子爆弾を落とされた都市として、彼らも知っているようだった。

 「爆弾が落ちた後、広島はどうなってるんだ?」
 「今はすっかり復興して、100万人住んでるよ」
 「後遺症をもった病人はいないのか?」
 「少しは…皆高齢者だけど」
 「この子も放射線病なんだ」

 Zubairが示したのは、いとこの子供の数人だった。
 よく見ると、坊主頭の頭髪がまだらに抜け落ちている。

 「放射線病?なんで?」
 「彼らは以前アフガニスタンにいたんだ。そこで被曝した」
 「アフガニスタンで?爆撃したのはどこの国?いや、実験かな…」
 「イランだ」

 イランが実験や爆撃をしたことがあったのだろうか?僕の聞き間違いかもしれない。
 後で調べてみたところ、もしかしたら、米英のアフガン空爆時に使用された劣化ウラン弾による影響なのかもしれない。
 まだ10歳にも満たないだろう小さな子が、クマの出来た目で僕を見つめている。Zubairが尋ねる。

 「日本の被爆者は、今は治ったのか?」

 僕は答えに困って、「多分」と嘘をついた。