–カンボジア、シェムリアプ
アンコールワット。心の底から憧れていた場所のひとつ。西参道に立った瞬間、湧き上がる興奮を抑えることが出来なかった。崩れかかった参道を、影の落ちる回廊を、当時どのように人々は行き来し、言葉を交わし、朽ちていったのか。参道の脇に横たわるナーガの石像ひとつとっても、百も千も語ることがあると言わんばかりに見える。遂にアンコールワットへとやって来た。
しかし中へ進むにつれて、興奮はどんどん減退していった。なぜだろう。昔から見たくて仕方のなかった場所なのに。アユタヤのワット・プラマハタートを目にした時のほうが、この興奮は長く続いたようにも思える。
それが何に因るものなのかよくわからなかった。移動で疲れたせいか、ところどころに目に付く補修の後──木組みや登りやすい角度の後付けの階段、キープアウトの看板──のせいか、それとも溢れかえる観光客の存在か。
多分、一番近いのは2番目の理由じゃないかと思う。僕の予想より全然、ここは観光地として完成しすぎていたからだ。何かの確認のように僕は遺跡を見て回り、想像の余地はあまりないように思えた。勿論それは僕の勝手な言い草で、そのおかげで僕も美しいレリーフや移動の難しい場所もスムーズに見て回ることができるのだけど。でも、神の領域と言われる第三層の急な階段を上って、参道を見下ろしながら僕は壮大なテーマパークにいるような気分を拭えないでいた。
そんな気分を引きずったまま、2日後に向かったベンメリアという遺跡で僕は衝撃を受けた。そこにはアンコールワットの中で感じられなかったものを感じられたからだ。ベンメリアという遺跡はほとんど発見された状態のままで、はっきりいってほとんど崩壊しているままだ。奇跡的に一部だけ残っていた回廊に足を踏み入れたとき、吹き抜ける風と一緒に、さまざまなイメージが浮かんだ。幅は細く、高い位置に50×30センチほどの窓が等間隔で並んでいる。真昼だというのに回廊の中はほとんど光が入ってこない。なぜ回廊をこんなに昼なお暗いように造ったのだろうか。ここを歩いたのは誰だろう。崩れ果てた中央の建物は当時一体どのようにそびえ立っていたのだろうか。人々が去り、そして多くの根を伸ばす樹木はどのように成長し、石塔を崩壊させていったのだろうか…想像の余地が至る所に残されていた。
きっと僕は、遺跡の持つ「明らかにされてない部分」にどうしようもなく惹かれているのだと思う。アンコールワットのコンプレックスは確かに美しい。しかし「なぜ」「どのようにして」という謎が発する輝きのようなものは、森の奥深く、悉く破壊されているベンメリアに遠く及ばなかった。
僕がただの天邪鬼なだけかもしれないけど、今出せた結論は「きっとそういうことなんだろう」だった。
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